九月の菊見ついでに大名庭園見物したらものすごかった件
(※注:ここでの九月は旧暦九月のことになります。新暦では十月~十一月頃です)
十方庵さん、本日はよろしくお願いします!
自分、東京都文京区本駒込にある庭園「六義園」には行ったことありますが、松平甲斐守のお屋敷時代の「六義園」はどんな感じだったのか、お聞きするのが楽しみです。
おお、よろしく頼みます。あれは確か、長月(※)二十五日、染井の里の菊を隠居仲間と誘い合って見に行った帰りに伺ったんじゃよ。
※旧暦九月
染井の里の菊ってなんですか?
令和の世ではやっとらんのか。植木職人が多く住んどる染井村(※)で開催されていた菊がたくさん飾られとる催しじゃよ。
ほれ、ちょうどこの絵のような。
(※注:江戸時代、東京都文京区駒込と豊島区巣鴨の間あたりにあった村)
豊国,国久『染井』,藤慶,安政4. 国立国会図書館
普通の美人画のように見えますけど……。
ほれ、背後にあるじゃろ?
ええっ?!小さくないですか?
もっと令和の我々にわかりやすい絵とか無いんですか?
美人のほうが読者も喜ぶと思ってのう……。
住職!元住職!
うるさいのう……じゃあ、ほれ、これならどうじゃ?
齋藤月岑幸成 編 ほか『江戸歳事記 4巻 付録1巻』[2],須原屋佐助 [ほか12名],[18–]. 国立国会図書館
こういう絵があるんじゃないですか、最初から教えてくださいよ……。
そうだ、本題のお庭の話に入らないと。
よろしくお願いします!
だって花咲いてなかったし……。
いきなりそういう話は差し障りが……。
いやいや、でもな、大変広いお庭でのう。それはまるで本物の山野を駆け巡るが如く。そう、幼き日を思い出すようじゃった……。
(しばし目を閉じる)
十方庵さんがトリップしてる間に、補足します。
彼が訪れた時期の六義園は、令和現在のものより三倍広かったそうです。
イメージの参考として、明治19年に岩崎弥之助氏の手によって当時の様子を復旧したと言われる時期に描かれた図を掲載しておきます(画像クリックで拡大)。
『六義園全図並八景十二境和歌』,川崎千乕 写,明治22. 国立国会図書館
※上記の図は地図部分のみの抜粋
そう、私もせめてこの感動を一人でも多くの人に広めたいと思ってのう。
あ、戻ってきた。
可能な限り見たものを書き留めていったものじゃ。
そう……案内人に「早く見終わって下さいよ」とかなんとかイヤミを言われながらもじっくりねっちりとな!
イヤミ言われたんですか……。
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午の刻から猿の上刻まで走り回ってもまだまだ見終わらない!五代将軍も二度訪れた、超広い庭の見どころ八十ハヶ所