午の刻から猿の上刻まで走り回ってもまだまだ見終わらない!五代将軍も二度訪れた、超広い庭の見どころ八十ハヶ所
どのくらい広いお庭だったんですか?
そうそう。東西に約三町(※)くらい、南北にもそれくらいあってな。
その中に山あり滝あり橋あり野原あり、茶店ありお宮ありで……。
(注:一町は約100メートル)
おお……。
たくさんの木々は、自然に曲がりくねった形も素晴らしく年季が入っているものばかりでのう。
庭にある山にも岡にも、橋にも木や石に至るまで、それぞれ名前の付いた四角い石柱が側にあるんじゃ。
令和の六義園では、そういう名前がついた名所は三十二箇所とのことなんですが、完成当時は八十八箇所あったそうですね。
ううっ!全部みたかったぞ!
しかしお庭に居られる時間いっぱい、午の刻より申の上刻(※1)まで走り回ってのう。
……五十八箇所(※2)まではなんとか記録したぞ!しかしまだ石柱がある箇所はいくつかあった、確かにあった!くやしい!
(注:※1 午前11時から午後3時くらい
※2 十方庵さんが訪れた時期には石碑がある箇所は五十三箇所だったとの話もあります )
でも、すごいですね……。
珍しい形の石が多く、また良い形の木や石燈籠もたくさんあってな。
昔「甲府少将(※)」と呼ばれた威勢もこの庭の様子を見ているとわかる。
……1つ1つ、紹介してもいいのだが(鼻息)?
(※注:六義園を作った甲斐甲府藩主・侍従左近衛少将の柳沢吉保のこと)
あまり長くても読まれないんで、3つくらいに絞ってもらえますか(キッパリ)。
お、おう……。
十方庵的見どころ【1】六義園八景の石碑
まずはここ。八景の石碑。根府川石で出来た、高さ四尺(※)くらいの石碑で、表面にはこんな文章が刻まれておった。
六義園八景
若浦春曙 軒端山月
筑波陰霧 芦辺水禽
吟花夕照 紀川涼風
東叡幽鐘 士峯晴雪
(※注:一尺は約30センチ)
こちらは令和でも見られる場所ですね。下の写真を参照ください。
現代の六義園を扱う記事やブログでも、ここの碑文をメモしてるものを度々見ます。
時代問わず書き留めたくなる名文なんですね。
まあ、私の場合はじっくり書き留めていたら、案内人に「早く見終われかし(早く見終わってくださいよ)」とかブツブツ言われたから表面だけがせいぜいじゃったがのう。
さっき言ってたのって、このことだったんですね……。
十方庵的見どころ【2】富士見山
小高い山になっている藤代峠と名がついた場所の頂上は、ふじ見山と称しておってのう。
ここも、現代の六義園にもある場所ですね!
西南にちょうど富士山が見えてのう!このお庭の木立がそのまま富士山の裾野に繋がっている……かのように見えるくらいの絶景じゃった。
あの常憲尊君(※)も二度もいらっしゃって、1日じゅう見て回ったというのも納得……!
(※注:五代将軍・徳川綱吉)
十方庵的見どころ【3】まるで本物の山林。広大な枯野を堪能せよ
私が訪れた頃は九月上旬だったので、萩も枯れていて野の花も散って、ススキがあるのみの枯野の景色じゃった。
ただ、楓が少し紅葉しかかってるかな?くらいの。
だが、それがよい。本物の山林を歩いているような気持ちになったのう。
旧暦の九月上旬ですから、新暦で言うところの十月上旬ですね。
しかしなかなか手入れが行き届きにくいのか、山は落葉に埋まっていて、立ち枯れた草木が大変多かった。
まあ、しかしこれらをマメに掃除するには、二~三百人は必要じゃろうし、なかなか難しいようだったのう。
こんなに庭が広いんじゃから、そりゃあそうだと思ったな。
(こっそり補足……。十方庵さんの感想は、あくまで文政年間の松平甲斐守下屋敷の時代の六義園について。現在の六義園は手入れが行き届いていて、年間通じて綺麗なお庭です)
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折しもその時雨雲が……!今回は去るが、今度は花の頃に来たい!