のけぞる!砕ける!そして後ろ姿の美しさよ……。
芳年「芳年武者无類(よしとしむしゃぶるい)」
ここからは、芳年の武者絵のシリーズ「芳年武者无類(よしとしむしゃぶるい)」、全33枚の中から、私の独断で3つにカテゴリ分けして推したい作品を紹介します。
まずは、芳年の真骨頂と呼びたい、大胆構図絵4つ!
続けて紹介いたします。
ダイナミックな構図 4選
『芳年武者无類 源牛若丸 熊坂長範(よしとしむしゃぶるい みなもとのうしわかまる くまさかちょうはん)』
芳年 大判錦絵 明治16年(1883年)(この図版の出典:国立国会図書館)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
『芳年武者无類 弾正忠松永久秀(よしとしむしゃぶるい だんじょうのちゅうまつながひさひで)』
芳年 大判錦絵 明治16年(1883年)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
『芳年武者无類 八幡太郎義家(よしとしむしゃぶるい はちまんたろうよしいえ)』
芳年 大判錦絵 明治19年(1886年)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
『芳年武者无類 相模次郎平将門(よしとしむしゃぶるい さがみじろうたいらのまさかど)』
芳年 大判錦絵 明治16年(1883年)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
カッコいいしか言えない……。
後ろ姿からの図 4選
そして、今回本邦初の全33枚展示ということで気づいたのですが、
「33枚中12枚が、メインの人物の斜め後ろからの構図、背中が見えている構図」だなあと。
そんな「後ろ姿、それがいい」絵の中から4つ続けてご紹介します。
『芳年武者无類 平相国清盛(よしとしむしゃぶるい へいしょうこくきよもり)』
芳年 大判錦絵 明治18年(1885年)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
『芳年武者无類 相模守北条最明寺入道時頼
(よしとしむしゃぶるい さがみのかみほうじょうさいみょうじにゅうどうときより)』
芳年 大判錦絵 明治16年(1883年)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
『芳年武者无類 木下藤吉郎(よしとしむしゃぶるい きのしたとうきちろう)』
芳年 大判錦絵 明治16年頃(1883年頃)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
『芳年武者无類 相模守北条高時(よしとしむしゃぶるい さがみのかみほうじょうたかとき)』
芳年 大判錦絵 明治16年(1883年)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
メインの人物の顔をあえて描かない・物や人で隠している絵も割りにありますね。目だけ見せてるような。
そうだね。展覧会図録の解説にもありましたが、芳年は常に浮世絵の新しい表現を追求していたような人だったらしいから、構図的にも色々チャレンジしているのかとも思いました。
それで思い出したけれど、今回使える画像が無かったので、これこそ実際展示を見てほしい絵に、芳年武者无類シリーズの「九郎判官源義経 能登守教経(くろうほうがんみなもとのよしつね のとのかみのりつね)」という作品があります。
芳年武者无類シリーズ「九郎判官源義経 能登守教経」を文字で説明すると
というシーンを、芳年は……。
……ことで表現しているんです!
ヒーロー義経を敢えて描かない選択!すごい!
なんかかわいい絵 2選
おまけに、思わず和んでしまうような、かわいい絵も2つほど紹介したい。
えっ、「芳年武者无類(よしとしむしゃぶるい)」なんていうタイトルのシリーズなのに……?
竹箒持っておそうじしてる武将の図です。
『芳年武者无類 新中納言平知盛(よしとしむしゃぶるい しんちゅうなごんたいらのとももり)』
芳年 大判錦絵 明治18年(1885年)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
一見和む感じの絵ですけれど、おそうじ武将は平知盛。ということは、これから入水するんですよね……。よく見ると、後ろでなんか女性らしき人物も泣いてるし……。
(※平知盛(1152―1185):寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いで、平家が敗れる様を見届けた後、自分も乳兄弟の平家長と共に入水した)
おさるさんが可愛い図です。
『芳年武者无類 主計頭加藤清正(よしとしむしゃぶるい かずえのかみかとうきよまさ)』
芳年 大判錦絵 明治16年(1883年)(この図版の出典:国立国会図書館デジタルコレクション)※展覧会展示品の所蔵は浅井コレクション
戦国武将の加藤清正公にも、こんな和む逸話があるんですね。
飼っていた猿が『論語』の本に落書きしたのを咎めず、お前も読むのかと褒めたという……。
よく語られる勇猛果敢な活躍は後から作られたお話で、実際には石田三成タイプの事務系武将であるという説も出てきているようなので、こういう穏やかな感じが本当の清正公に近いんじゃないかなとか思ったりしますね。
次のページからは……
表から裏から描いてみた!
芳年「藤原保昌月下弄笛図(ふじわらのやすまさげっかろうてきず)」